【矢作川を知ろう】

<川の恵みで大きくなった>

今井洋二さん(1943年生まれ)



 矢作川の歴史を語る上で欠かせない場所があります。それは、矢作川の物流の拠点として重要な役割を果たした豊田市百々(どうど)町。この百々町で生まれ育ち、先祖から続く川とのつながりや地域の歴史を大切にしておられる今井洋二さんにお話を伺いました。矢作川の流れる音を聴きながら語っていただいている途中、アオサギやキジが川の上を飛び、カワウが魚をくわえて川から飛び立ち、川辺の林から子ギツネが現れるというできごともありました。
(聴き取り 吉橋久美子 2017年10月31日 扶桑公園(矢作川と岩本川の合流点附近)にて)


<矢作川のそばで生まれ育って>
 私は矢作川から歩いて2,3分のところに生まれ育って、川の恵みで大きくなりました。子どもたちのおむつを矢作川で洗っていたというのが母のいつものエピソードでした。
 川に来るとアユ釣りをする人たちの川舟がたくさんもやって(ロープで繋がれて)おったんですよね。家の居間の天井には、近くの人が持ってきてくれたアユを乾燥させたものがぶらさがっていました。冬場にいろんな料理の出汁に使っていて。これも川の恵みですね。それはありふれた風景でした。

<小川で遊ぶのが最高の楽しみだった>
 矢作川は危険なので、小学校高学年までは岩本川で遊んでいました。といっても当時はそんな名前は知らなくて「小川」と言っていました。矢作川は「川」、または「大川」でしたね。
 同じ年代の男の子4、5人で、「ぽんつく(魚とり)しよう」「今日やるか」と言い合って片手にバケツ、片手にタモを持って出かけていき、春夏秋、遊びました。それは最高の楽しみでしたね。一人じゃあおもしろくないですよ。「魚みつけた!」などと言い合うのが楽しい。気味が悪かったのはヤマカガシ。目の前を泳いでいたりして、よく見ました。


参考:一時期子どもの遊び場としては認識されていなかった岩本川ですが、2015年度より地域住民※と豊田市で「ふるさとの川づくり」事業が行われ、子どもたちが遊ぶ姿も見られるようになりました。(写真「岩本川探検隊」2016年8月20日撮影)
参考 RIO(「矢作川日記」でも度々ご紹介しています)
RIO.No.199 2016年4月
RIO.No.205 2017年10月


<二色の矢作川>
 昭和40年ごろを境に川と人の関わり方が変わったと思います。大学で地元を離れて昭和41年に帰ってきましたが、矢作川の様子が違っていて、高橋の上から見ると川の西側が真っ白、東側が青。はっきり分かれていた。当時各地の大気汚染が問題になっていましたが、「矢作川も問題だ、ひどいじゃないか」と思いました。地域の子どもたちも「川で遊ぶな」と言われるようになりました。危険というより不潔でした。その後きれいになりましたがね。
 ダムができた後も、変化が起きたと思います。昔は土砂が堆積していて、深さはそうないけれども川幅が広いという状態だったようですね。今は水位が下がっています。


<川の流れを利用して材木が海まで運ばれていた>
 先祖は川を使って材木を流したり、材木を刻んだりする商売でしたので、川沿いでないと生活できなかったんでしょうね。ぐにゃぐにゃと曲がった山路を運ぶのは無理なので、川へ持ってきて、川の流れを利用して運ぶという方法が主だったそうです。
 ただ、上流の小川は水量がわずか。材木を流しようがないのではと、昔、明治19年(1886年)生まれの祖母に聴いた時、小川を堰き止めてダムをつくるんだと言っていました。そこへ木をどっと流して、勢いでダムを決壊させて流すんだ、と。
そしてここ百々(どうど)でロープを張って材木をひっかけ、引っ張り上げて貯めておきます。注文が入ったら筏をつくり、いくつかつなげて川下へ。筏師は、海べたの問屋さんに渡すと、あとは川沿いの道をてくてく歩いて帰ってくる。大正ぐらいになると自転車を筏に乗せて、帰りはそれに乗って帰ったそうですよ。明治38年(1905年)に稲武から百々へ10,000本の材木を流したと言います。
(注:百々には材木商今井善六さんによって1918年に建造され、1930年まで使用された「百々貯木場」(豊田市指定文化財)が残っている。今井洋二さんは今井善六さんのご子孫。)




上「貯木場全体の様子」 下「貯木場を矢作川対岸から臨む」大正7年(1918年)撮影
『川をめぐるくらし』豊田市郷土資料館図録より  (写真協力 豊田市郷土資料館)


現在の百々貯木場2017年4月20日撮影

<川の流れに心休まるのは今も同じ>
 今、こうやって矢作川を見ながらおるんですけど、ああやってアオサギが来たり、シロサギも多い。川沿いにはキツネもタヌキもおります。
 この、波の音っていうのは本当に気持ちがいいですね。この音がするのは、なだらかなところではなくてちょっと瀬があって、流れが急というところですね。
 昔と違って水量は少なくなり、川床も低くなってしまって寂しさもありますが、流れを見ていると心休まるのは今も同じだなあと思います。



<地元の川や自然が、心のふるさとになるように>

有我 都さん(キッズプランナー)


有我さんは子育て支援グループ「キッズプランナー※」の代表として、10年以上にわたって親子向けの川遊びのイベントを開いておられます。また、市民グループ「矢作川水族館」や「家下川リバーキーパーズ」の一員としても川と人を結ぶ様々な活動を展開。いつも明るくにこやかな有我さんに、その背景にある思いを伺いました。
(2017年8月24日 聴き取り・記事作成:吉橋久美子)
※豊田市の南部にある子育て支援の拠点、「柳川瀬子どもつどいの広場にこにこ」を豊田市と共に運営。
 



子どもも私も川でいっぱい遊んでました
うちの子どもたちは小さいころすごいやんちゃだったんです。それで、川、というか、地元の自然のなかでいっぱい遊んでました。用水路に行けば魚はいるし、水たまりがあればそこでも泳いじゃう(笑)。橋の上から飛び降りるっていうのもやってて。友達にも恵まれて、年上の子が年下の子を思いやって面倒見たりだとか、年下の子は上の子に憧れたりとかね、みんなで遊んでましたね。
 私もここで育ってきて、家下川によく行ってました。大水の後は用水路があふれて田んぼに鯉とかが泳いでて、それをみんなで傘で掬うとか(笑)。だから子どもたちがそういう遊びすることに抵抗がないんですよ。

魅力ある仲間たちと、「地元」にこだわって川遊び
お母さん仲間と、こんな楽しみを自分たちだけで味わうのはもったいない、と平成16年に「キッズプランナー」をたちあげ、親子向けに川遊びイベントを始めました。地元の自然や川の魅力、楽しさを伝えたくて。仲間たちは「親が本気で遊んでるところを子どもに見せよう!」っていう感じ。子どもには負けてられない(笑)、いかに自分が大きい魚やめずらしい魚をとって子どもたちに自慢するかという(笑)。そんな仲間たちの魅力もあって、自分たちの子の手が離れてからもずっと続けてます。



子どもも大人も川遊びに夢中!
まずは目の前の川で遊ぼうってことで「家下川たんけんたい」、矢作川で「矢作川たんけんたい」を開催するようになって11年です(現在は「矢作川水族館」と「家下川リバーキーパーズ」と共催)。「柳川瀬子どもつどいの広場」の運営を始めた6年前から「たんけん☆キッズ」という連続のイベントもやっています。
魚を捕ったり泳いだり、子どもはめちゃめちゃ遊びますけど、大人も夢中で遊びます。初参加のお母さん、はじめは粗品でもらったような網を持ってくるんですけど、魚をたくさんとる人を見てきっと帰りに買いに行くんでしょうね、2回目には釣具店で買った本気で魚をとれるいい網を持ってきてるとか(笑)。
「矢作川たんけんたい」では自分でとった魚を唐揚げにして食べて、子どもたちは大満足!川の魚って食べれるんだっていうのを子どもたちに伝えて行けたら。



川では素直な自分になれる
活動をやっててよかったな、って思うのは、参加者が会の次の日に川で遊んでる姿を見た時。そうやって自分たちの遊びにしてほしいなって思います。
川では大人も子どもも童心に帰って無邪気になれる。素直な自分になれて、子どもたちも魚をとりながら学校でのできごとを初めて会う私にしゃべってくれたり。
いずれは地元の川や自然が、みんなの心のふるさとになってほしいなって思って活動してます。川は人をつなぎ、地域をつなぎ、世代をつなぎ、笑顔をつなぐ素敵な場所ですね。
(文中写真はフェイスブックのキッズプランナーのページより (2017年8月5日))



<川遊びした子ども達はすごくいい顔>

村瀬登美さん (稲武山里体験推進協議会) 



稲武地区は豊田市の北東に位置し、長野県と岐阜県に接する自然豊かなエリアです。
温泉を併設した道の駅として有名な「どんぐりの里いなぶ」のすぐ近くに、明治時代に建てられた民家を移築した「豊田市稲武体験交流施設どんぐり工房」があります。どんぐり工房は、豊田市と合併した2005年から、農林業、食、工芸などの体験プログラムの拠点として多くの人に親しまれています。その体験プログラムの一つに「川遊び」があると知り、活動の核になっておられる村瀬登美さんにお話を聴かせていただきました。
(聴き取り 吉橋久美子2015年10月6日 どんぐり工房にて )
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プールとは違う楽しさがある

―川遊びならではの良さってなんでしょう?

やっぱりプールとは違うじゃん?川に入ってみて、冷たいことがわかる、流れるのもわかる、岩は滑るところもあるし、それから急に深くなったりもする。
子ども達にはライフジャケットつけてもらってね、時間内で自由にやりたいことをして遊んでもらう。川上に向かって泳いで行って、川の流れに身を預けて下る子がいたり、タモ持ってバケツ持って、ずっと魚摑みやってる子もいるし、植物をとりたければ延々草むらを探っちゃあ(笑)バケツに入れる子がいたり。箱メガネで川の中をずっと見ている子もいる。親と一緒に来ているちっちゃい子は親と一緒にしりもちついてみたり石運んでみたりねえ。
子ども達は唇が紫になってガタガタ震えてても「まだ遊びたい!」って。それだけ楽しいんでしょうね。もちろん「あがらなきゃダメ」って言うけどね(笑)。



危険だから全部シャットアウト、じゃなく

―川は楽しいけれど事故が心配でもありますね。

やっぱり自然は危険と背中合わせ。私たちも最初は不安で、専門家にいろいろ教えてもらった。川は危険だから全部シャットアウト、じゃなくってどうやったら安全に遊べるのかっていうそういうことを知ってもらえたらいいな。
プログラムの最初に、「みんなににこにこして帰ってもらうためにね、大人の言うことは聞いて下さい、笛が鳴ったらどんなに楽しくてもやめて、ここに集まってね」とか約束してもらう。無事に帰るまでこっちもどきどきするけどね、やっぱり子ども達はすごいいい顔して「楽しかった!」って帰っていくので、やってよかったなあと思う。それの繰り返しだわね。

地元の子ども達に川を体感してほしい

都市部の親子の参加が多かったんだけど、あるときふと気づいたら地元の稲武の子どもたちが川に入れないの。いや、入れるんだけどものすごいこわごわ入るの。「うっそお(笑)」と思って。こんなに近くに川があるのに。こんなことではいかん、稲武のこと、全然思い出にならんって思ったの。実際にふれて体感しないと感じないし愛着もわかない。だから稲武の子ども向けプログラムもやっています。
昔、プールが無い時代は夏休みに入ると大人の人達が川をせき止めてくれるわけよ。そこへ子ども達みんなで、浮き輪とか持って、タオルかけて遊びに行くわけ。上級生が下級生見ながら遊んでたし、時間になると、ちゃんと家に帰って来てたし、そういうことがやっぱり当たり前にできるようにならないといけないかなあとすごく思いますね。
最近、地元の30代40代の人たちのなかに、自分の子どもやその次の世代に引き継いでいける川や山の姿がないとだめという想いを持っている人達がいることを知り、考えさせられたし、嬉しいなあと思います。
(写真は同日稲武地区大野瀬町にて撮影)



<子どもたちに伝える「身近な自然」の大切さ>

藤井泰雄さん(元矢作川漁業協同組合平戸橋支部長)(82歳)(年齢は取材時)



藤井さんはかつて矢作川漁協の平戸橋支部長という役割を担われ、希少魚類の繁殖に力を注ぎ、依頼を受けた小中学校に出向き子ども達とたくさんの川遊びを行ってきた方です。河畔林「お釣り土場水辺公園」の管理にもご尽力をいただきました。また季刊誌『RIO』No.201では「矢作川の生きもの」コーナーで渡りをする蝶、アサギマダラについてもご寄稿いただいています。
藤井さんのお話には、優しい語り口調の中に固い信念と科学の目を感じました。なかでも子ども達との関わりは微笑ましくも本質的なものでした。
(聴き取り 吉橋久美子2016年7月25日、12月19日)
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生き物の世界が大きく変わった

子どもの頃から川で遊ぶこと、魚をとること、虫を採ること、植物を採ること、そういうことがもう何より好きで、勉強なんて言うのは二の次で(笑)。
で大人になってから気が付いたんだけど川の中の生きものの種類が変わった、数が減った。何が原因だろうなと考えた時に、矢作川の水が汚くなってしまったことに気付いた。あちこち見て歩くと、もう、やっぱり、生き物の世界が大きく変わってる。池の中も、川の中も、田んぼの中も、もう子どもの頃と比べたら月とスッポン、豊かで水がいっぱいある緑の平原とそれから砂漠の違い、大げさに言うとそれくらい違いが出てしまったんじゃないかなと。
ほれをな、元に戻すことは多分不可能だし、ましてや人間一代の間にそんなことはできないな、と思う。

会った子どもの0.1パーセントでもいいから

じゃあできることといったらなにか。
そういう考え方を持った人間を一人でも増やしていく活動をすることが自分のできることだと。
それに一番いいのは、子ども相手に川遊びをすること。遊びだと我を忘れてやれるが知らず知らずのうちに学びがある。会った子どもの0.1パーセントでもいいからまじめに自然界のことを考えてくれる大人になってくれたら、将来の環境の復元につながる可能性は残るんじゃないかなあと。

千人を超える子ども達と

子ども達との川遊びは59歳の時から始めたんだけども、この、80までの間に、会った子どもの数は多分千人を超えたと思う。
釣餌を入れる器に空き缶を利用して作る方法から教えた。シラハエやカワムツの餌にするヒゲナガカワトビケラの幼虫(セムシ)は川底の石をひっくり返せばすぐとれる。でもそのまま缶に入れたり水をいれておくと早く死んでしまう。川原の細かい乾いた砂を入れておくと長時間生きているんだ。理屈で説明するんじゃない。そういうことはもう少し大きくなったら自分で勉強すればいいことだから。
いろんな子がいたね。生まれて初めて魚に触った子、ザリガニが怖い子、カエルが触れない子もいた。大人になったら水族館みたいなところで働く研究者になりたい、と手紙をくれた子がいたんだけど大きくなったら芸大へ行っちゃった(笑)。それでも、やっぱり、やっててよかったなあと思って…。  

子どもと付き合うときに大事なことは

気持ちの上で子どものレベルになること。そうすると子どもは自然に近づいてくる。大人の言葉を使ってもいいけれども子どもにわかりやすく。先輩だぞと思っていると子どもが一歩下がってしまう。

手の届く範囲をどうやって守るのか

今、竹林の整備をして堤防から川が見えるようにすることを進めているようだが、風景の中にある川を見るだけじゃなくて、川岸まで下りてみなさいということ。水を見て、水の中を見て初めて川を見たことになる。
手の届く範囲をどうやって守るのかというのが本当に大事なことなんだよ。


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藤井さんのお年賀状には生き物の写真と「身近な自然を大切に」という言葉が印刷されていました。生き物の写真は毎年変わるけれどもこの言葉はしばらく変わっていないそうです。
藤井さんにとっての「身近な自然」は矢作川の魚。そして希少魚類を繁殖させ、河畔林の生態系を考え、アサギマダラの飛来する庭造りをする藤井さんは「自然を大切にする」大人として素晴らしいお手本となって下さっています。



<対岸とともに>

矢作自治区水辺愛護会
新實鋭二さん(会長) 75歳(中央)
池野定雄さん(庶務会計)69歳(向かって左)
成瀬啓一さん(会員・矢作自治区区長)67歳(右)
(年齢・肩書は聴き取り時)



矢作自治区水辺愛護会※1は矢作自治区内の矢作川右岸(榑俣(くれまた)町~百月(どうづき)町)を活動地として竹林の間伐や草刈り、水辺公園の維持管理などをしています。
愛護会設立前のワークショップ※2では、会の「課題」を「対岸の笹戸自治区と協働し、計画を立てて整備したい。人手不足の為住民だけで管理していくのは難しい。」という言葉にまとめました。このように対岸を意識する言葉は他の愛護会でも度々聞かれ、「対岸からの眺めを良くする」ことが活動の目標になっている愛護会もあります。地元と対岸という二つの視点を持ち、その間を流れる川も含めた空間への意識の強さは、川辺に住む人々の特徴ではないでしょうか。
(聴き取り 吉橋久美子2016年7月26日)
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水辺愛護会の活動について

――どんな方々が会員さんですか?
新實:60代後半が主力だね。その中で当日に出られる方が出る。
池野:日曜午前中。出られるのは12、3人から、20人いかないぐらいかな。
成瀬:いろんな団体が日曜狙っとるもんでね(笑)。

――活動地は昔どんな様子だったんですか?
成瀬:ずっと竹林。斜面で畑やれるような場所がなかったからね。

――活動をしてどんな成果がありましたか?
新實:竹を伐って、景観が良くなったね。川が見えるようになった。
池野:冬場、道路の安全が確保できた。前は竹が道路の上にかぶさって、雪が降ると倒れてきてもう通行止めになっちゃうぐらいの所もあった。雪が長く溶けずスリップ事故になったり。それが乾くようになったね。
きれいな竹林なら見栄えもいいんですけど倒れかけたのがあったり、ぐしゃぐしゃになってると見た目も非常に悪いと。これをみんなでキレイにしようということだったんです。

――ご苦労や課題は…?
池野:場所がね、すごい急斜面なんですよ。非常に作業がやりにくいし危険。だから人集めにしても作業のお願いするにしてもなかなかね…。
新實:作業でも来る人がだんだん高齢化して「協力はしたいけどもどうも体がいうこときかんでできん」という人が多くなってきたなあ。それは悲しいことだなあ。急な所を上がり降りしてもらったら気の毒だで。だんだんそういう時代になってきたで困ったね。手伝ってくれる人がいるといいが。

――今後の見通しは?
成瀬:ふれあいの場所として、やがては、川の魚を観察したり、広場があるもんだから笹戸の景色を見ながらお茶を飲んだりするのもいい。
一同:(笑)
新實:勘考すりゃあなんとかなる(笑)。

――自治区と愛護会とはどんな関係でしょう?
成瀬:協力体制ですね。町内会長や役員の者が町内に呼びかける感じで協力しあってやっていますよ。



対岸への意識

――対岸への意識が強いのですね。
新實:わしら農地はほとんど対岸だもんで。それで仲良くしよったんだわ。

――昔は舟で行っていたんですか?
新實:そう。渡し場があって。有間(あんま)の酒屋さんの所に。
成瀬:笹戸橋※3なかったもんね。
新實:有平橋※4もね。だからほとんど舟。(一つ上の世代は)あれ、大変だったなあ。農機具持っちゃあ舟に積んで。今ほど大きな機械はないが。せいぜい大八か※5リヤカー積んでくくらいで。
わしらの時代はおかげさんで橋があったもんで、農機具積んで大八ひいちゃあ行った。

――対岸の人との愛護会活動の上での関わりは?
池野:対岸の人達も、自分たちの竹林を整備したのに、こっちが茂ってるとここを車で通るときにあちらが見えないということでね、我々も協力しようということになって来てくださった。
新實:対岸の人も喜んどるわ。明るくなったって。

竹と竹皮

新實:昔は夏になると竹屋さんが竹を伐りよった。商売になっただね。笹戸や榑俣にも、日面(ひおも)でも、それこそ字(あざ)に一軒ぐらいずつあった。今じゃあもう残念ながら、竹はほったらかしだもんで、…。
竹皮もよく拾って市場へ出しとったがね。お母さん連中、おばあさん連中が拾って。
成瀬:子どもの仕事でもあったね。

川の姿の移り変わり

――昔の川との関わりは?
成瀬:昔は水泳、魚摑み。ほんとに水がきれいでね。水中眼鏡をつけて泳ぐと水族館みたいだったね。とおーくまで魚が見えた。
新實:タモだとかヤス※6とか使って。アユでもひっかけるぐらいおっただ。昔は川行くのに水なんて持ってかん。川の水を飲んどった。はっはっは…。
成瀬:ウナギなんかもよく釣ってた。
新實:ハエ※7とかイシャンコ※8をつけた針を棲みかに入れりゃあ釣れた。
成瀬:いっぱいとれましたもんね。そういうのが今できんね。餌の確保が難しい。
新實:昔はトヨタ自動車行くより川に行く方が金になった。アユ釣って笹戸温泉やら、広瀬まで自転車で運んどった。で名古屋の方へ、行ったらしいよ。流れが速いから舟に乗ってる人がぱらぱらおったね。今じゃあ川は全然金にならん。

――最近は川との関わりはありますか?
成瀬:昔に比べるとほんとに川に入る機会っていうのがね、
池野:ないね。
新實:ないなあ。子どもは川は行っちゃいかんよといわれてるから。
成瀬:ダムができて砂がないもんで砂浜がなくなっちゃったね。ついでにヨシとか生えて。昔と川の様子が変わってきた。
でもこういう、水辺愛護会みたいなのが少しでも「抑え」になるというか。全部荒れ放題だったら、もう、ますます川と離れていっちゃうってことがありますわねー。少しでも活動が「抑え」になって行けばと思いますよ。

※1. 2008年設立。会員数52人(2015年10月時点) 
※2.「かわせみ第3号」(平成23年3月15日)
※3.笹戸橋…昭和40年9月竣工(新設)『矢作川』愛知県豊田土木事務所発行編集 平成3年3月 より
※4.有平橋…平成2年3月竣工(新設)  『矢作川』愛知県豊田土木事務所発行編集 平成3年3月 より
※5.大八車(だいはちぐるま)…木製の人力荷車。人が入って引っ張るための枠と荷台があり、荷台の左右に車輪がついている。
※6.ヤス…魚を突くための棒状の道具。この地域では三本に分かれた金属製の銛先(もりさき)がついているものが一般的という。
※7.ハエ…オイカワ
※8.イシャンコ…ヨシノボリ

(写真:平成27年12月2日撮影)