【矢作川を知ろう】

「地域ひっくるめて」の竹林再生を目指すメンマづくり

このページは、矢作川の流域に関わりのある方にお話を伺い、「語られたままの言葉」をできるだけ生かして、川と人とのつながりをご紹介することを目的として作成しています。

山岡真人(まこと)さん(1976年生まれ)(「竹々木々(ちくちくもくもく)」(アドバイザー))
野田侑季さん(1986年生まれ)(同 共同代表) 

 近年、山間部や川辺に見られる荒廃した竹林をなんとか生かそうという動きが各地で起こっています。豊田市旭地区でも、「地域を担う人材創造拠点」として立ち上げられた施設「つくラッセル 」(注1)のグループ「バンブーチャイルド」が2018年に竹林再生を目指してメンマづくりを始めました。
 そのメンマづくりの中心人物だったのが旭で生まれ、矢作川を遊び場として育ち、今も投網(網を投げて、潜って押さえる)でアユをとっては家族にふるまう山岡さんです。高校時代やご結婚当初の一時期以外はずっと旭に住んでおられます。
 今年のメンマづくりの中心となるのは野田さんです。「竹好き」で知多半島の竹林整備に携わっておられましたが「山に住みたい」と旭に移住。「日用品のほとんどは竹でできる。ずっと使えないからこそまた竹は伐られ、循環していく」と、竹の可能性を追求し、竹細工を習い、竹行灯ワークショップなどを企画しています。
 「竹々木々」は「バンブーチャイルド」が発展したもので、竹だけでなく旭の地域材をもっと利用しようと2019年4月1日に発足。その翌日にお話を伺いました。
(聴き取り:洲崎燈子、吉橋久美子 2019年4月2日 「つくラッセル」にて)





<タイミングが重なってメンマづくりがはじまった>

山岡:4年ぐらい前に、なんかふと、竹でメンマ作れんのかなあと思ったことがあって。自分そんなラーメン好きじゃないけど(笑)元々料理人でいろいろ作るの好きなんで。自分とこも山持っとるんで竹はね、ずっとあったんで、なんとかできないかなあと。
(先進事例である)天竜のメンマづくりのことは、雑誌(注2)で見てて 。で、矢作川研究所のシンポジウム(上記のメンマづくりを企画し、雑誌記事で紹介された曽根原宗夫氏の講演が行われた)に参加した「本気部」(注3) (地域情報誌の企画)の仲間に誘われて、去年の4月に天竜に視察に行って。で、「つくラッセル」のグループでやったら面白いんじゃない?ということで、いろんなタイミングが重なって始まったんです。愛知学泉大学の学生さんや愛知県(行政)の人も手伝ってくれました。


<メンマづくり、試行錯誤の一年>

1.タケノコを伐る
 有間竹林愛護会(注4) の竹林と築羽(つくば)自治区の竹林で、去年は主にハチクのタケノコを伐りました。2mぐらいのタケノコでいいんだけど、鎌で伐れる堅さのところを伐る。無理しんでサクッと伐れる感じのところ。
 みんな去年は「初」でわからんし、強引に伐れば伐れちゃうもんで、無理くりね(笑)、メンマにしちゃって後で繊維が出て食べれないっていうのもあって。戻してみたら筋張ってて食べれん。やってて悲しくなってね。自分のようにやっとると経験上ね、これは食べれるとこだなってわかるんですけど。





2.茹でて、塩漬けする
 えぐみが出るんで節をとって、茹でてから塩漬けします。メンマって、ちゃんと発酵されるとすごい美味いんですよ。アミノ酸がすごい出るんで。うちは発酵食品、乾燥食品で作りたかったんで、ちゃんと乳酸発酵させて、天日干しで。
塩分濃度はうちは10%にしたんですよね。一か月ぐらいでちゃんと繊維もほどけて。夏越すならもっと塩分濃度高めて20%とか。塩分濃度が高いと乳酸発酵は遅れます。



(竹林で竹を伐り、カットして茹でるまでの4枚の写真は竹々木々提供)

3.干す
 乾燥は天日だけだったら3,4日あればカリカリぐらいに。そうしとけばその後は一年中いつでも戻していいですよっていう状態にしとけれる。

4.水で戻して調理する
 成形調理の前日に水で戻す。戻し方もコツがあります。塩抜きと兼ねてるわけで、戻し過ぎるとうまみも全部出ていっちゃう。流水でやっちゃうと抜け過ぎちゃうんで、できればためた水で入れといたほうがいい。
 でカット成形して調理ですね。サイズは細かいと乾燥工程が大変になっちゃう。今年はもうちょっと大きくやろうと。
 味付けは築羽の梅とネパールのスパイス。化学調味料は使わないで、ほんとに酒と、みりんと醤油、スパイスで、しかもこだわったものを使っとるだけで。ほんとはアユ味を作りたい。「アユチョビ」(山岡さん手作りのアユの塩蔵品。「アンチョビ」に似せた名で呼んでいる)を使ってやると絶対うまい。

<5.販売する>
 去年は11月に販売したけど(75g800円。100袋を製造し、1か月ほどで完売)、寒いと香りが立たないんですよね。本当はタケノコが出た時期に仕込んで、そのまま流れで夏に販売できると一番売りやすい。今年はこの辺の夏祭りで売りたい。



<旭全体で盛り上げたい>

野田:今年は地域の人から竹を買い取ります。厚みのあるモウソウチク限定で、「朝どれ」がポイントで(注5) 。すべての工程に地域の人が関わってくれるといいなと思うので、ワークショップとかでやれたら。地域ひっくるめてやりたいので。

山岡:旭全体で盛り上げたいんですよね。ちゃんとできるようになれば買い取りは一本300円じゃなくて500円ぐらいまではいけるんじゃないかなあ。要は、みんなの仕事を作りたいんですよ。プチ仕事でもいいんで主婦層、女性陣、じいちゃんたちも、それで興味が湧けば多少竹林に手を入れるかなと思うんですよ。
 旭も昔は竹を扱う人が一つの集落に一人はいましたね。自分が子どもの頃も農機具屋の人がやっていた。まだ道具はあるって言ってましたけど、継ぐ人がいないんで。道具だけでもレスキューできるといいんですけど。
 うちの親父は「こんな(大きな)タケノコとっていいんか」、っていうけどそれがいいんだよって。昔はねえ、旭でも、大きいタケノコにして取っとった地区とかもあるんですよ。戦後の食糧難の時代。そういう面でもおもしろい。昔の竹利用とかね、聴いときたい。竹だけじゃなくていろんなことがね、まだまだ、聴けてない話が多いと思うんです。


(注1) 「平成24年3月に137年の歴史に幕をおろした旧築羽小学校を再活用した地域を担う人材創造拠点。」(つくラッセルfacebookページでの紹介文)。2018年オープン。
(注2) 雑誌では、長野県飯田市の舟下り会社に所属する船頭である曽根原宗夫氏を中心に立ち上げられた、川沿いの放置竹林を間伐し、その竹を燃料として燃やしたり、筏、メンマ等に加工して活用する「鵞流峡復活プロジェクト」が紹介された。プロジェクトの過程で地域のつながりも生まれているという。雑誌『BE-PAL』(2018年2月号「地方創生時代の歩き方 ルーラルで行こう!」No.33)。
(注3)地域情報誌『耕ライフ』誌上で一般に参加者を募り、「当たり前のように購入していたものを作ることにより、作り手や大地の恵みへの感謝の心をはぐくみ、知識や技術を身につける」ことを行う企画で、メンマづくりは「ラーメン」作りの一つとして実施された。
(注4)矢作川の川辺の竹林を保全する地元団体。
(注5)「長さ1.8m、直径13cm以上の朝どれ孟宗竹のタケノコを1本300円で限定100本買取します」(「つくラッセル news 2019年4月号より」)。「朝どれ」に限定しているのは、時間が経つとえぐみが出るため。



真っ暗がりのところにはヘボは来ん ~手入れされた山の恵み、ヘボ~

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鈴木十(つなし)さん
(1942年うまれ)


 鈴木十さんは豊田市足助地区の五反田町で「ヘボ追い」をされています。「ヘボ」は長野や岐阜、愛知などで食べられているハチで、ヘボご飯や佃煮にしたり、五平餅の味噌に混ぜて使います。鈴木さんは、ヘボの成育が山の状況など自然環境に大きく左右されるということやヘボを通じた交流についても教えて下さいました。
 ヘボ追いは「遊び仕事※」 の代表的なものともいえます。説明してくださる皆さんの楽しそうな表情が印象に残りました。(聴き取り:洲崎燈子・吉橋久美子 2018年12月17日(月)鈴木さんのご自宅の離れ(地域の皆さんが日常的に集まるというお部屋)にて)
※ 「自然との密接で直接的な関係がある、経済的意味に還元できないような誇りや喜びが得られる、身体性をもつ、遊びの要素が強い」といった特徴がある(鬼頭秀一、1997地域社会の暮らしから多生物多様性をはかる:人文社会科学的生物多様性モニタリングの可能性。In:自然再生のための生物多様性モニタリング。鷲谷いづみ・鬼頭秀一編。東京大学出版会2007)




<ヘボの一年>
 ヘボっていうのはクロスズメバチとシダクロスズメバチの2種類ね。区別?飛び方とかで俺は分かるけど、わからん人もおる。クロスズメバチの巣はせいぜい1キロ500(グラム)ぐらいしかならん。シダクロスズメバチっていうのは巣を大きするやつで4キロ5キロていうのができる。
ヘボをぼう(追う) のは6月の中から後ろだな。ヘボは土手に来るのもおるけど林の中が多い。餌をヘボが来そうな場所に吊るして食わせる。餌はわしがとう(わしら)はイカをつかう。
 目印(ビニール袋を割いたもの)のついた餌を食らったヘボぼって、巣を見つける。巣までは200mちょっとぐらい。巣穴を見つけたら、防護服を着て、手で掘り出すよ。木なんかの根っこが絡まってると壊れちゃうで、周りをはさみで切ってって。巣は8センチから15センチぐらい。4、5人のグループで、一年に60から100ぐらいさがすよ。それから選んでくる。多い人は10個ぐらい飼うかな。わしは6つ。餌場がかぎられちゃうもんでね。



 ヘボ小屋で10月まで飼う。餌は10月の中ぐらいまで毎日一回はやっとる。最初は鶏の生の肝。とる15日前までには、幼虫が肝臭くならんよう鹿の肉にかえる。鹿は鉄砲で撃ってくる。それと砂糖水。2リッターで砂糖1キロを溶かいて(溶かして)やっとるけど、それを、年間で何十キロかな、40キロばかじゃない ね、最高になると1日6リッターぐらい作る。
 巣はよそ(恵那市串原など)のイベントに持ってく(販売する)。去年まで「足助ヘボコンテスト」をやっとったけど今年はもうやめた。歳とってやれんもん。みんなに迷惑かかるし。
ヘボの巣は一年で終わる。新しい女王が巣から出てすぐに交尾して冬眠にはいっちゃう。4月ごろに出て来て巣作り始める。


<研究を重ねる>
 毎年違うね、状況が。女王が冬眠する状態と、あと周囲に餌があるかないか。やる餌なんてしれとるもんね。わしが思うには20%ぐらいだと思う。ヘボは狩りバチだもんで、あとは外でクモだとか虫だとか食べとるね。
 一番大きな巣は5キロぐらいになる。初めは2キロぐらいしかいかなんだ。「うちのとこは種類悪いだ」っていって、山岡町(恵那市)の名人に巣を渡して飼ってもらった。そしたら大きなった(笑)。それで大きすることに関して名人に習った。みんなどえらい研究しとるよ。


<昔は里ヘボがようけおりよった>
 ヘボは小学校5、6年の時からやっとるよ。昔の餌はカエル。カエル持っちゃあ歩いて(笑)。昔は人工林ももちろんなかったし田んぼの基盤整備もやってなかった。段々の田んぼで。里ヘボ(クロススメバチ)がようけおりよった。あぜ道とかで巣をつくりよっただけど、だんだんだんだん減って。今はほとんどシダクロ(スズメバチ)になっちゃったね。環境だろうね。


<間伐して3年経つとヘボも来るようになる>
 ヘボは真っ暗がりのところ(手入れができておらず木が密生して生えているところ)には来ん。うちの山は市の助成で間伐やってもらって。しばらくは食わんけど、3年ぐらい経って中の下地(草や低木など)がしとなりだす(成長し出す)と虫が来るもんでヘボのオヤバチ(女王蜂ではなくハタラキバチのこと)も来るようになる。狩った虫は幼虫の餌になる。オヤバチは幼虫から液をもらう。
 ヘボはほりゃあ楽しいよ。やめられん。お金にはならんけど生きがいにはなる(笑)。


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■ヘボ仲間 安藤馨さん(写真右)(1936年生まれ)
 ヘボは全部がおもしろい。生きがい。(ヘボが餌に)食らいついたら昼飯抜きでぼっとるもん。わしゃあ「ツケ 」(ヘボに餌をつける役)だもんで、あんまり先頭いって目印見らんけど、たまーにやるじゃんね。前から白いやつ(目印のビニール)がチラチラチラーっと飛んできたときの感動はいいね。]

■ヘボ仲間 山下和雄さん(写真中央)(1941年生まれ)
 今年は5キロ100(グラム)の巣ができた(この地区で今年一番の大きさ)。23キロで18万(円)ぐらいになった。餌が4万かかった(写真:巣の重さ一覧。「バラシ」は巣の外側をとったもの)。




■ヘボ料理 鈴木史寸江さん(奥様)(1946年生まれ)のお話
 ヘボのコンテストやってた時は前の日から女性10人ぐらいで五平餅800本作ってね。幼虫を甘辛く煮つけて、細かく刻んでお味噌に混ぜて。佃煮は巣の中に入ってるの全部使う。黒くても白くても(黒…成虫に近い)。私はよう食べんけどね(笑)。決まった調味料を入れて、味見は全部主人(笑)。

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●捕獲した巣を入れる小箱と巣箱
 小箱も巣箱も全て手製である。巣を採ったら小さな穴が無数に空いている小箱に入れ、巣の大きさに合わせて穴から竹ひごを打ち、固定して持ち帰る。
●ヘボ小屋
 ヘボ小屋は鈴木十さんが持ち山の杉を刻んで建て、瓦を葺(ふ)いた。ヘボを飼っている時はトレーを敷いて水を入れ、巣箱を載せて並べる。小屋の前面に渡した針金に餌を吊った針金をひっかけて、食べさせる。枠の上の皿に砂糖水を入れる。(写真は巣箱を置いていない状態)





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<オオスズメバチ>
 オオスズメバチは、ペットボトルに返しをつけた「ウゲ 」のようなものを巣穴にはめ込み、周りを叩くと「ダーっと」出てくる。
 オヤは生きたまま35度の焼酎につける。糖尿の血糖値を下げるという。キャップに一杯ずつぐらい飲む。「たいへん(たくさん)飲んだらあかんがや」。一本2,3千円で売れる。子はから揚げにすると「ヘボよりうまい」。>





自然の恵みをかたちに ~つばき油を搾る~

このページは、矢作川に関わりのある方々にお話を伺い、「語られたままの言葉」を生かして川と人とのつながりをご紹介することを目的として作成しています


松原孝史さん(1951年生まれ)
「手作り工房」主宰


 豊田市内の矢作川や支川などで、ボランティア団体「水辺愛護会」が地元の川辺の整備を行っています。矢作川研究所は、その活動に川辺ならではの「恵み」を取り入れることで活動の楽しみが増えるとよいのではと、「川の恵み」を探しています。
 そんななかで、女性を中心に老若男女が集まる「つばき油搾り」の体験ワークショップを開いているという松原孝史さんを知りました。
 ヤブツバキといえば、川辺の林が明るくなると元気に成長し、花を咲かせ、実をならせる、川辺の整備のシンボル的な存在です。その油が多くの人の関心を呼んでいるということで、「川の恵み」のヒントをいただくためにお話を伺いました。(聴き取り:洲崎燈子・吉橋久美子 2018年12月11日(火) 松原さんのご自宅兼事務所にて)



<つばき油を絞っています>
 10年ほど前から、自宅のある碧南市や高浜市などの民家、お寺などにあるヤブツバキの実を採らせてもらってつばき油を搾っています。ピークの時は一年で40リッターぐらいとれたかな。でも今は藪が減ってヤブツバキも減って、それほど採れなくなりましたね。
 つばき油を始めた直接のきっかけは、2009年に始まった「豊森(とよもり)なりわい塾」※1です。「田舎に住むためのなりわいをさがそう」「人がやっていないことをやってみよう」ということでつばき油を搾ることにしたんです。


<つばき油絞りの一年>
 ヤブツバキは3月に花が咲いて、9月の終わりから10月ごろに実ができる。それをなるべく木の上にあるうちに高枝バサミでとります。落ちてしまったのも拾いますが、古いものが混じっていたり汚れていたりするのでね。
 これを集めるのに10月まるっとかかります。
 外側の殻から実を外して天日干しで一週間ほど乾燥させます。その実を鉄の棒で叩いて皮を外し、中身を砕きます。それを袋に入れて圧搾(あっさく)機の筒に入れて絞るんです。最後に炭のフィルターでろ過して完成。非加熱・低圧搾です。「家内工業的」でしょう。
 この圧搾機はオリジナル。鉄工所を営む友人に作ってもらっています。





<ヤブツバキでいろいろなことができる>
 つばき油はオレイン酸を多く含んでいて、髪の毛にも肌にも良く、マッサージなどに使われています。リップクリームや石鹸もできます。
 油のかすは「サポニン」という成分が含まれているので畑にまくとネキリムシなんかの対策になるそうですよ。葉はお茶にもできます。木は炭にすると火持ちが良くて煙も出にくい。灰は釉薬にできて草木染の定着剤にもなるんです。


<実を集めるのが大変>
 実を集めるのが一番大変です。ヤブツバキの実を持ってきてもらったら、つばき油と交換をしたり、買い取らせてもらっています。外の殻ごとで6kgぐらい持ち込んでもらうと、圧搾する実は2kgほどになり、約800ml程のつばき油がとれます。



<つばき油搾り教室を開催>
 小型の搾り器を作って、5年ほど前からつばき油搾りワークショップも開催しています。豊田で開催されている体験型プログラム「とよたまちさとミライ塾」への参加も3年目ですが3回来てくれた人もいますよ。友達連れてね。喜んでもらえるとやっててよかったと思います。




<思い出のある川の眺めを守り、アユが育つことを願う>

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大津建男さん(1940年生まれ)
富田水辺愛護会会長 矢作川漁業協同組合中和支部長

 矢作川にかかる富国橋のすぐ上に「流れの勢いが源氏の武士のように力強い」(現地看板より)ことから「源氏の瀬」と名付けられた瀬があり、カヌーの格好の練習場となっています。
 四十年ほど前、矢作川に清流を取り戻そうと発刊された『月刊矢作川』創刊号(1977年4月号)の表紙を飾ったのも、この瀬で釣りをする人の写真でした。解説に「昔も今も矢作川の象徴」とあります。
 そんな瀬のある地域に住んでおられる大津建男さんは川の景観を守る水辺愛護会の会長、漁業協同組合の支部長として川の活動をしておられます。矢作川研究所も調査の折に大変お世話になってきました。そんな大津さんに、川が一望できるご自宅でお話を伺いました。
(聴き取り:吉橋久美子2018年3月20日 ご自宅にて 撮影は別日)



千貫石まで舟をだしてくださった大津さん



「源氏の瀬」。リオオリンピック/カヌー競技でメダルを獲得した羽根田卓也選手も練習した。


<宿題よりも川遊び>
 川が見えるこの場所に、親父が家を建てました。川が好きだったもんでね。
 小学校の時分はここから広瀬の小学校まで、矢作川を渡って、歩いていきよったですねえ。朝おばあさんが湿らして、叩いて、柔らかくしてくれた藁草履を履いて、着物着て。えーっと30分ぐらいかかったかな。帰りは渡し舟で帰ったこともありました。
 当時自転車でこの奥から通っとった先生があったんです。そうすっと、朝晩通勤途中に、私らが川で遊んでるのがわかるわけだね。「お前あそこで遊んどったじゃないか」「あーあれは、向こうにおった」「これはこっちにおった」ってね〈笑〉。朝学校へ行くと、「おーい大津、お前今日、宿題やってないだろう、立っとれ」ちゅって。そりゃ、宿題やるよりかも、川で遊んどったほうがいいもんですから、あっはは…。しまいごろには、まあ顔見ただけで、「お前、立っとれ」って(笑)。

<キャンプをやっていたら…>
 小学校5年か6年のころ、そこの千貫石っていう大きな石のところでね、キャンプをやったことがあるんです。その時分はテントもなにもないもんですから、運送屋さんから自動車のシートを借りて、ほいで、それを張って寝おったら、夜中に親父、「おーいおーい」って呼ぶもんですから、なんかしらんと思ったら、「水が出るで帰って来い」って。シートは石の上にあげて、持てるもんだけもって家へ戻って、5人ばかで寝たことがあるんですけど。小さい時からそういうことが好きだったねえ。今でも、魚釣りの友達とか、同級生と、昔はこうだったなあ、ああだったなあって楽しく思い出します。




千貫石。大津さんは岩場全体をそう呼んでいたが、「一番大きな石が千貫石かもしれない」。かつては砂地を歩いて行けたが、今はその場所に砂は無く、舟でないと行けない。


<川が見えるように竹を伐る>
 仕事で名古屋におって、退職してから戻ってきたんです。その頃は川が見えないほど竹やぶがあったんですわ。戻る前から少しずつ伐りはじめて、戻ってから本格的に伐りました。すると部落の人も「うちの前も切りたいなあ」っていうようになって、愛護会として伐るようになったんです。
 今はこうやって…(窓を開けてくださった。矢作川が一望できる)。明るくなったね。雪なんか降ると道に竹が倒れて自動車がとまりよったことが時々あったんですわ。でも今それがないからね。
 ただ会員にはもう年取った人もいるもんですから、なんとか現状維持で、竹があまり繁茂しないようにぼちぼちやっていったらいいと思うんだけどね。




<アユが育つ川に>
 僕は川が好きなもんで、漁協の支部長も9年やってきたけど、あんなに釣れていたアユが、年々釣れんくなるね。矢作川の水はね、きれいならば工業や農業、飲み水、そういうもんに使うに非常に有効で、汚さんようにするのがこれから大事だと思うんだけどね、でもそれだけだと魚にはどうかなあ。アユの育つ川にするには、まだまだ研究が必要だなあ…。



<自然は神様がおって、怖いんだぞ、と>

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池野あさこさん (1950年生まれ)(有間竹林愛護会会員)

 池野あさこさんは矢作川の上流部、笹戸地区の竹林を整備している「有間(あんま)竹林愛護会」の会員です。初めてお会いしたとき、池野さんは未整備エリアで枯れた竹を割って運び出しておられるところでした。「黒い竹が汚いでしょう。きれいにしとかんとね。」「女性も頑張ってるんですよ。タケノコを出荷したり、祭りで出店したり。地元で仲良く楽しく」と笑顔でお話してくださいました。
 次の春、同愛護会が開催した「タケノコづくしの食事会」に参加させていただくと、池野さんがおられました。二人並んで川を見ながら、「川の思い出、川への思い」をお聴きしました。
(聴き取り:吉橋久美子2017年5月28日 豊田市有間町の矢作川の川辺にて) 




<いっぱい、川で泳いでました>
 私が生まれたのは、旭町の、島崎という、もうちょっと上流にある、川のすぐそばなんです。私が通学したのは小渡小学校。小学校の頃は、川で泳ぎました。体育の時間に(笑)。最初は泳げなくって、顔突っ込まれたりなんかして。で、泳げるようになったのは6年生ぐらいかな。中学の時は夏休みは毎日毎日、いっぱい、川で泳いでました。もう真っ黒になって。だけど水が冷たいから「ちょっと上がらんといかんぞー」って言われてね、おっきな石にこうへばりついて、あのー甲羅干しみたいにしてました(笑)。川で、しょっちゅう遊んで。
 あの、梁瀬(やなぜ)というとこがあって、岩がゴツゴツしたところで、大きなお兄ちゃんたちはそっからボーンと飛びこんだりなんかして、泳いでいましたね。畑できゅうりをとってきて、で、川で、投げて(笑)それを食べたりとか、おやつで。そんな暮らしでしたね。子どもの頃はね。
 あと、あのー支流で、魚を掬う。イシャンコとかー、こんなちっちゃな魚をね、すくうことが楽しくって―。網持ってって何人かで遊んだりとか。川はすごく身近だったね、



<にごりすきはすごい楽しみだった>
 台風が来たりすると、大きな網でにごりすき※1。どんな魚があるのかなあってすごい楽しみでしたね。結構すくえるもんで、家でこう、串に刺して焼いたりして、で、藁のつっとこ※2みたいなやつがあるからそこに刺して、焼いた魚をこう、あの天井から吊るすみたいにして、それで、おそうめんの出汁にしたような気がします。だからいっつもこう、いつ食べるんだろうなあーって感じで子どもながらに見てましたね。焼いたのを干してるから、多分カチカチだったと思う。
 ほで伊勢湾台風の時(昭和34年)には、桑畑に魚がいっぱい入って来て、それを捕まえたのは凄く楽しかったです。危ないから行っちゃいけないとか言われたんだけど、でも行っちゃいましたね(笑)。

<瀬に乗ってすーっと流れてけば>
 中学の時、瀬に乗ってね、すーっといったらねえ、深いほうまで入っちゃったの!その三角岩のとこで!ああ怖いなあ!と思って、溺れるーと思って(んー)、ほしたらもうあんまりこう力を入れないですーっと流れに乗ったんですよね。ほしたらこう浅い方へ来たんですよ。だから溺れなくて済んだんですけどー。ちょっとドキドキでしたね、ははは….んー。だから、暴れるとだめなんですよ。流れに、あのー逆らっちゃうと、わーあってなっちゃうから、瀬に乗ってすーっと流れてけば しぜーんと浅い方に流れてくんですよね。だから知らない川では遊ばない。深いとこがあるから。水神様が「おいでおいで」(笑)って呼んじゃうから(笑)。



<自然はいいとこもあるけど怖いところもある>
 やっぱ、自然ちゅうのはそういうもんだもんね。いいとこもあるけど、怖いところもある。毎年この川で一人や二人はねえ、亡くなってる人いるんですよ。ここらはまだいいけど池島の辺りなんかはすごい深いとこがあるんです。だから気をつけなきゃいけないよ。流れがあるっていうこと、プールとは違うからね。ツーっとね、入りこんじゃう。
 私たちはもう小っちゃい時からそういうのがしみこんでるから、先輩たちがあそこは危ないで行くなよって言われたらもうそれは絶対守る。一人で行かないとか。そういうとこでも、人生の勉強が、ちょっとできたかなって。自分のこう器量に応じて、深いとこ行きたいなって思ってもね、こっちの方しかダメだなっていうね、自分で自分の身を守るっていうそういうのを自然のなかで、こう…勉強してくんじゃないかなと思うじゃんね。
 だけど、まちの人ってそういう体験がないから。救急車だってこんな田舎じゃ20分ぐらいあの経たないと来てくれないよっていう、そういうことを、ちゃんと弁えて、キャンプしたりね。自然は神様がおって、怖いんだぞ、と。自分勝手に無茶苦茶なことをすると、命がなくなる可能性があるよと。うん。そういうことを、言いたいですね。

※1.にごりすき…大水で水が濁っているような状態の時に網で魚を掬うこと
※2.藁のつっとこみたいなやつ…「つっとこ」はウナギをとる竹製の漁具。それとおなじような形の細長い、巻き藁