【矢作川を知ろう】

遡上するアユ(明治用水頭首工)

川から海へ、そしてまた川へと回遊するアユ。勢いよく明治用水頭首工の魚道を上ってきます。 2007年5月2日撮影。



釣り人のいる風景


2006年7月撮影



矢作川右岸「波岩」付近の今昔 昭和50年代→平成27年

雑魚釣りで賑わう昭和50年代の矢作川波岩付近


現在の同地点付近(2015年6月23日)



<川の恵みで大きくなった>

今井洋二さん(1943年生まれ)



 矢作川の歴史を語る上で欠かせない場所があります。それは、矢作川の物流の拠点として重要な役割を果たした豊田市百々(どうど)町。この百々町で生まれ育ち、先祖から続く川とのつながりや地域の歴史を大切にしておられる今井洋二さんにお話を伺いました。矢作川の流れる音を聴きながら語っていただいている途中、アオサギやキジが川の上を飛び、カワウが魚をくわえて川から飛び立ち、川辺の林から子ギツネが現れるというできごともありました。
(聴き取り 吉橋久美子 2017年10月31日 扶桑公園(矢作川と岩本川の合流点附近)にて)


<矢作川のそばで生まれ育って>
 私は矢作川から歩いて2,3分のところに生まれ育って、川の恵みで大きくなりました。子どもたちのおむつを矢作川で洗っていたというのが母のいつものエピソードでした。
 川に来るとアユ釣りをする人たちの川舟がたくさんもやって(ロープで繋がれて)おったんですよね。家の居間の天井には、近くの人が持ってきてくれたアユを乾燥させたものがぶらさがっていました。冬場にいろんな料理の出汁に使っていて。これも川の恵みですね。それはありふれた風景でした。

<小川で遊ぶのが最高の楽しみだった>
 矢作川は危険なので、小学校高学年までは岩本川で遊んでいました。といっても当時はそんな名前は知らなくて「小川」と言っていました。矢作川は「川」、または「大川」でしたね。
 同じ年代の男の子4、5人で、「ぽんつく(魚とり)しよう」「今日やるか」と言い合って片手にバケツ、片手にタモを持って出かけていき、春夏秋、遊びました。それは最高の楽しみでしたね。一人じゃあおもしろくないですよ。「魚みつけた!」などと言い合うのが楽しい。気味が悪かったのはヤマカガシ。目の前を泳いでいたりして、よく見ました。


参考:一時期子どもの遊び場としては認識されていなかった岩本川ですが、2015年度より地域住民※と豊田市で「ふるさとの川づくり」事業が行われ、子どもたちが遊ぶ姿も見られるようになりました。(写真「岩本川探検隊」2016年8月20日撮影)
参考 RIO(「矢作川日記」でも度々ご紹介しています)
RIO.No.199 2016年4月
RIO.No.205 2017年10月


<二色の矢作川>
 昭和40年ごろを境に川と人の関わり方が変わったと思います。大学で地元を離れて昭和41年に帰ってきましたが、矢作川の様子が違っていて、高橋の上から見ると川の西側が真っ白、東側が青。はっきり分かれていた。当時各地の大気汚染が問題になっていましたが、「矢作川も問題だ、ひどいじゃないか」と思いました。地域の子どもたちも「川で遊ぶな」と言われるようになりました。危険というより不潔でした。その後きれいになりましたがね。
 ダムができた後も、変化が起きたと思います。昔は土砂が堆積していて、深さはそうないけれども川幅が広いという状態だったようですね。今は水位が下がっています。


<川の流れを利用して材木が海まで運ばれていた>
 先祖は川を使って材木を流したり、材木を刻んだりする商売でしたので、川沿いでないと生活できなかったんでしょうね。ぐにゃぐにゃと曲がった山路を運ぶのは無理なので、川へ持ってきて、川の流れを利用して運ぶという方法が主だったそうです。
 ただ、上流の小川は水量がわずか。材木を流しようがないのではと、昔、明治19年(1886年)生まれの祖母に聴いた時、小川を堰き止めてダムをつくるんだと言っていました。そこへ木をどっと流して、勢いでダムを決壊させて流すんだ、と。
そしてここ百々(どうど)でロープを張って材木をひっかけ、引っ張り上げて貯めておきます。注文が入ったら筏をつくり、いくつかつなげて川下へ。筏師は、海べたの問屋さんに渡すと、あとは川沿いの道をてくてく歩いて帰ってくる。大正ぐらいになると自転車を筏に乗せて、帰りはそれに乗って帰ったそうですよ。明治38年(1905年)に稲武から百々へ10,000本の材木を流したと言います。
(注:百々には材木商今井善六さんによって1918年に建造され、1930年まで使用された「百々貯木場」(豊田市指定文化財)が残っている。今井洋二さんは今井善六さんのご子孫。)




上「貯木場全体の様子」 下「貯木場を矢作川対岸から臨む」大正7年(1918年)撮影
『川をめぐるくらし』豊田市郷土資料館図録より  (写真協力 豊田市郷土資料館)


現在の百々貯木場2017年4月20日撮影

<川の流れに心休まるのは今も同じ>
 今、こうやって矢作川を見ながらおるんですけど、ああやってアオサギが来たり、シロサギも多い。川沿いにはキツネもタヌキもおります。
 この、波の音っていうのは本当に気持ちがいいですね。この音がするのは、なだらかなところではなくてちょっと瀬があって、流れが急というところですね。
 昔と違って水量は少なくなり、川床も低くなってしまって寂しさもありますが、流れを見ていると心休まるのは今も同じだなあと思います。



<地元の川や自然が、心のふるさとになるように>

有我 都さん(キッズプランナー)


有我さんは子育て支援グループ「キッズプランナー※」の代表として、10年以上にわたって親子向けの川遊びのイベントを開いておられます。また、市民グループ「矢作川水族館」や「家下川リバーキーパーズ」の一員としても川と人を結ぶ様々な活動を展開。いつも明るくにこやかな有我さんに、その背景にある思いを伺いました。
(2017年8月24日 聴き取り・記事作成:吉橋久美子)
※豊田市の南部にある子育て支援の拠点、「柳川瀬子どもつどいの広場にこにこ」を豊田市と共に運営。
 



子どもも私も川でいっぱい遊んでました
うちの子どもたちは小さいころすごいやんちゃだったんです。それで、川、というか、地元の自然のなかでいっぱい遊んでました。用水路に行けば魚はいるし、水たまりがあればそこでも泳いじゃう(笑)。橋の上から飛び降りるっていうのもやってて。友達にも恵まれて、年上の子が年下の子を思いやって面倒見たりだとか、年下の子は上の子に憧れたりとかね、みんなで遊んでましたね。
 私もここで育ってきて、家下川によく行ってました。大水の後は用水路があふれて田んぼに鯉とかが泳いでて、それをみんなで傘で掬うとか(笑)。だから子どもたちがそういう遊びすることに抵抗がないんですよ。

魅力ある仲間たちと、「地元」にこだわって川遊び
お母さん仲間と、こんな楽しみを自分たちだけで味わうのはもったいない、と平成16年に「キッズプランナー」をたちあげ、親子向けに川遊びイベントを始めました。地元の自然や川の魅力、楽しさを伝えたくて。仲間たちは「親が本気で遊んでるところを子どもに見せよう!」っていう感じ。子どもには負けてられない(笑)、いかに自分が大きい魚やめずらしい魚をとって子どもたちに自慢するかという(笑)。そんな仲間たちの魅力もあって、自分たちの子の手が離れてからもずっと続けてます。



子どもも大人も川遊びに夢中!
まずは目の前の川で遊ぼうってことで「家下川たんけんたい」、矢作川で「矢作川たんけんたい」を開催するようになって11年です(現在は「矢作川水族館」と「家下川リバーキーパーズ」と共催)。「柳川瀬子どもつどいの広場」の運営を始めた6年前から「たんけん☆キッズ」という連続のイベントもやっています。
魚を捕ったり泳いだり、子どもはめちゃめちゃ遊びますけど、大人も夢中で遊びます。初参加のお母さん、はじめは粗品でもらったような網を持ってくるんですけど、魚をたくさんとる人を見てきっと帰りに買いに行くんでしょうね、2回目には釣具店で買った本気で魚をとれるいい網を持ってきてるとか(笑)。
「矢作川たんけんたい」では自分でとった魚を唐揚げにして食べて、子どもたちは大満足!川の魚って食べれるんだっていうのを子どもたちに伝えて行けたら。



川では素直な自分になれる
活動をやっててよかったな、って思うのは、参加者が会の次の日に川で遊んでる姿を見た時。そうやって自分たちの遊びにしてほしいなって思います。
川では大人も子どもも童心に帰って無邪気になれる。素直な自分になれて、子どもたちも魚をとりながら学校でのできごとを初めて会う私にしゃべってくれたり。
いずれは地元の川や自然が、みんなの心のふるさとになってほしいなって思って活動してます。川は人をつなぎ、地域をつなぎ、世代をつなぎ、笑顔をつなぐ素敵な場所ですね。
(文中写真はフェイスブックのキッズプランナーのページより (2017年8月5日))