矢作川を知ろう 【矢作川と人】

<対岸とともに>

矢作自治区水辺愛護会
新實鋭二さん(会長) 75歳(中央)
池野定雄さん(庶務会計)69歳(向かって左)
成瀬啓一さん(会員・矢作自治区区長)67歳(右)
(年齢・肩書は聴き取り時)



矢作自治区水辺愛護会※1は矢作自治区内の矢作川右岸(榑俣(くれまた)町~百月(どうづき)町)を活動地として竹林の間伐や草刈り、水辺公園の維持管理などをしています。
愛護会設立前のワークショップ※2では、会の「課題」を「対岸の笹戸自治区と協働し、計画を立てて整備したい。人手不足の為住民だけで管理していくのは難しい。」という言葉にまとめました。このように対岸を意識する言葉は他の愛護会でも度々聞かれ、「対岸からの眺めを良くする」ことが活動の目標になっている愛護会もあります。地元と対岸という二つの視点を持ち、その間を流れる川も含めた空間への意識の強さは、川辺に住む人々の特徴ではないでしょうか。
(聴き取り 吉橋久美子2016年7月26日)
====================

水辺愛護会の活動について

――どんな方々が会員さんですか?
新實:60代後半が主力だね。その中で当日に出られる方が出る。
池野:日曜午前中。出られるのは12、3人から、20人いかないぐらいかな。
成瀬:いろんな団体が日曜狙っとるもんでね(笑)。

――活動地は昔どんな様子だったんですか?
成瀬:ずっと竹林。斜面で畑やれるような場所がなかったからね。

――活動をしてどんな成果がありましたか?
新實:竹を伐って、景観が良くなったね。川が見えるようになった。
池野:冬場、道路の安全が確保できた。前は竹が道路の上にかぶさって、雪が降ると倒れてきてもう通行止めになっちゃうぐらいの所もあった。雪が長く溶けずスリップ事故になったり。それが乾くようになったね。
きれいな竹林なら見栄えもいいんですけど倒れかけたのがあったり、ぐしゃぐしゃになってると見た目も非常に悪いと。これをみんなでキレイにしようということだったんです。

――ご苦労や課題は…?
池野:場所がね、すごい急斜面なんですよ。非常に作業がやりにくいし危険。だから人集めにしても作業のお願いするにしてもなかなかね…。
新實:作業でも来る人がだんだん高齢化して「協力はしたいけどもどうも体がいうこときかんでできん」という人が多くなってきたなあ。それは悲しいことだなあ。急な所を上がり降りしてもらったら気の毒だで。だんだんそういう時代になってきたで困ったね。手伝ってくれる人がいるといいが。

――今後の見通しは?
成瀬:ふれあいの場所として、やがては、川の魚を観察したり、広場があるもんだから笹戸の景色を見ながらお茶を飲んだりするのもいい。
一同:(笑)
新實:勘考すりゃあなんとかなる(笑)。

――自治区と愛護会とはどんな関係でしょう?
成瀬:協力体制ですね。町内会長や役員の者が町内に呼びかける感じで協力しあってやっていますよ。



対岸への意識

――対岸への意識が強いのですね。
新實:わしら農地はほとんど対岸だもんで。それで仲良くしよったんだわ。

――昔は舟で行っていたんですか?
新實:そう。渡し場があって。有間(あんま)の酒屋さんの所に。
成瀬:笹戸橋※3なかったもんね。
新實:有平橋※4もね。だからほとんど舟。(一つ上の世代は)あれ、大変だったなあ。農機具持っちゃあ舟に積んで。今ほど大きな機械はないが。せいぜい大八か※5リヤカー積んでくくらいで。
わしらの時代はおかげさんで橋があったもんで、農機具積んで大八ひいちゃあ行った。

――対岸の人との愛護会活動の上での関わりは?
池野:対岸の人達も、自分たちの竹林を整備したのに、こっちが茂ってるとここを車で通るときにあちらが見えないということでね、我々も協力しようということになって来てくださった。
新實:対岸の人も喜んどるわ。明るくなったって。

竹と竹皮

新實:昔は夏になると竹屋さんが竹を伐りよった。商売になっただね。笹戸や榑俣にも、日面(ひおも)でも、それこそ字(あざ)に一軒ぐらいずつあった。今じゃあもう残念ながら、竹はほったらかしだもんで、…。
竹皮もよく拾って市場へ出しとったがね。お母さん連中、おばあさん連中が拾って。
成瀬:子どもの仕事でもあったね。

川の姿の移り変わり

――昔の川との関わりは?
成瀬:昔は水泳、魚摑み。ほんとに水がきれいでね。水中眼鏡をつけて泳ぐと水族館みたいだったね。とおーくまで魚が見えた。
新實:タモだとかヤス※6とか使って。アユでもひっかけるぐらいおっただ。昔は川行くのに水なんて持ってかん。川の水を飲んどった。はっはっは…。
成瀬:ウナギなんかもよく釣ってた。
新實:ハエ※7とかイシャンコ※8をつけた針を棲みかに入れりゃあ釣れた。
成瀬:いっぱいとれましたもんね。そういうのが今できんね。餌の確保が難しい。
新實:昔はトヨタ自動車行くより川に行く方が金になった。アユ釣って笹戸温泉やら、広瀬まで自転車で運んどった。で名古屋の方へ、行ったらしいよ。流れが速いから舟に乗ってる人がぱらぱらおったね。今じゃあ川は全然金にならん。

――最近は川との関わりはありますか?
成瀬:昔に比べるとほんとに川に入る機会っていうのがね、
池野:ないね。
新實:ないなあ。子どもは川は行っちゃいかんよといわれてるから。
成瀬:ダムができて砂がないもんで砂浜がなくなっちゃったね。ついでにヨシとか生えて。昔と川の様子が変わってきた。
でもこういう、水辺愛護会みたいなのが少しでも「抑え」になるというか。全部荒れ放題だったら、もう、ますます川と離れていっちゃうってことがありますわねー。少しでも活動が「抑え」になって行けばと思いますよ。

※1. 2008年設立。会員数52人(2015年10月時点) 
※2.「かわせみ第3号」(平成23年3月15日)
※3.笹戸橋…昭和40年9月竣工(新設)『矢作川』愛知県豊田土木事務所発行編集 平成3年3月 より
※4.有平橋…平成2年3月竣工(新設)  『矢作川』愛知県豊田土木事務所発行編集 平成3年3月 より
※5.大八車(だいはちぐるま)…木製の人力荷車。人が入って引っ張るための枠と荷台があり、荷台の左右に車輪がついている。
※6.ヤス…魚を突くための棒状の道具。この地域では三本に分かれた金属製の銛先(もりさき)がついているものが一般的という。
※7.ハエ…オイカワ
※8.イシャンコ…ヨシノボリ

(写真:平成27年12月2日撮影)