矢作川研究所日記

2024/03/22

矢作川を案内しました!

 栃木水産試験場の高木優也さんが、矢作川の視察に来られました。高木さんのお話によると、栃木県を流れる那珂川では、現在、藻類のカワシオグサと水草のコカナダモの繁茂に悩んでいるとのことです。矢作川でも1990年代後半から2020年にかけて、同様の水生植物が注視されていました。栃木県の那珂川といえば、アユ釣りのメッカで全国大会の会場に選ばれる川です。しかし、アユ釣りに迷惑となる藻については、矢作川が先輩にあたるようです。
 矢作川では水草のオオカナダモは2018年以降に減少し、現在、小康状態となっています。一方、カワシオグサは昨年の夏に顕著な発生がみられ、復活する?と気になっているところです。オオカナダモの減少は、出水との関係が確認されましたが、カワシオグサの大発生の要因は、未だによくわかっていません。アユが成長する夏場、河床にカワシオグサが多いと、アユは餌のシアノバクテリをお腹いっぱいに食べられないのではと想像します。反対に、たくさんのアユがのぼってくると、アユが川底の石を食むことでカワシグサの増加を押さえるとも言われています。
 カワシオグサの多さとアユとの関係を明らかするには、どのような調査をすればよいか、悶々とした気持ちになっていました。今回、高木さんも「それらの関係は鶏と卵のようで、悩ましい」と私と同じように感じておられました。高木さんとの意見交換していると、同士を得たようで心強くなりました。
 私が驚いたのは、那珂川では、水温の低い冬季でもカワシグサが鮮やかな緑色して元気であること、反対にその時期にはコカナダモが枯れてしまうということです。冬場の様子が矢作川とは違っていました。今回の意見交換と矢作川のご視察を受け、単独の川だけ調査していてはわからないが、似た性質の川と比較すると、謎が解けるかもしれないと思いました。今後、那珂川と矢作川がよりよい川になっていけるよう、お互いの調査結果など情報の共有を進めていきたいと考えています。(内田)


視察中、小渡では置き土実験の準備が進められていた



2024/03/08

犬伏川や飯野川などで流砂量調査を行いました.

教科書には,「ダムは水だけでなく砂も貯めるため,その下流では流れる砂の量が減る」とか,「ダムの無い支川は砂がそのまま流れるため,本川に対して土砂を供給する」とか書かれています.確かに支川の合流点では砂が堆積していることがあり,土砂を供給していることがイメージできます.では,実際のところ川を流れる砂はどれくらいなのでしょうか.今回(3/7と3/8),ダム下流の本川(矢作川)と2つの支川(犬伏川,飯野川)において流砂量調査を行いました.

流砂量は流砂ネットで河床表層を流れる砂を集めることで計測します.正方形の金枠にメガホンのようにネットが付いていて,サンプルが筒に集まる仕組みです(写真参照).金枠には紐が付いていて,杭などで川底に固定できるようになっています.5分ほど設置しておくと,筒の部分には砂だけでなく色々なものが入りました.透明に見える川の水にも様々なものが混ざっているのだと実感できました.

現在,流砂量を計量すべく乾燥作業中です.予想どおり,本川では流砂量が少ないのか,支川では流砂量が多いのか…結果が楽しみです.(小野田幸生)


飯野川(左)と矢作川(右)の合流点

流砂ネット

流砂ネットの設置状況

採集物



2024/03/02

第19回矢作川学校ミニシンポジウムを開催しました!

矢作川学校ミニシンポジウムは今年度で19回目となりました。会場には34名、リモートには7名の方々にご参加いただき、大学生や大学院生による10題の研究発表と意見交換を行いました。今回は中・高校生の参加はなく、幅広い層の発表とならず残念でした。一方で、矢作川を熟知されている年配の方々からは多くの質問や意見が寄せられ、まさしく世代間の交流の場となりました。これまでのミニシンポジウムでは、若い人たちの意見交換が乏しく、彼らの発言をいかに促すかが、課題の1つでした。驚いたことに、今回は、積極的な質問が飛び交う場面もあり、活気が出てうれしく思いました。
 主催側にいる私たちも初めて人前で研究発表した時を振り返ると、緊張と答えに窮する質問がでたら、どうしょうという不安で一杯だったことを思い出します。その後、年を重ね発表を重ねるうちに、不安よりも自分の研究に対する意見を求める気持ちが大きくなりました。若い人の発言を促すには、会場の雰囲気を柔らかくすることが必要だと感じています。ミニシンポジウムは、学会発表のような堅苦しいものではなく、仲間同士が雑談する時のように、おやつをつまみながら、気軽に意見し合えるサロン的な楽しい会にしていきたいと思っています。今回はその試みの第一歩として、参加者全員で集合写真の撮影を行いました。(内田朝子)