2024/10/29
2024年10月29日、水辺愛護会・河畔林愛護会の会員を対象とした
「河川愛護活動視察研修会」があり、12団体17人が参加しました。
この研修会は、河川環境を守る人材育成と、河川愛護活動についての知識向上のため、
豊田市河川課が毎年開催しているもので、研究所員も同行しました。
今年の訪問先の一つ目は、豊田市の下山エリアにある「下山バークパーク」です。
下山バークパークを運営している株式会社鈴鍵は、近自然工法を用いた河川整備、
ビオトープづくりを行っています。
その実例を見ることで、生物がすみやすい川辺づくりの参考にするため、訪問しました。
下山バークパークでは、樹木廃棄物である木くずをチップにしています。
チップは発酵させて堆肥にしたり、降雨時の土砂流出を防ぐために、
工事直後の法面に吹き付けたりして有効活用しているそうです
(「ウッドチップリサイクルシステム」)。
このような、環境に配慮した複数の取り組みについて説明を受けました。
ビオトープは心地の良い林で、池と小さな流れがあり、地面には柔らかなコケが生えていました。
参加者の皆さんは、水辺の生物への興味から、水中のカワニナを見つけて、
ホタルの飛翔の有無を職員の方に尋ねたりしながら、散策しました。
昼休憩時に河川課と研究所から以下のお知らせをしました。
豊田市には矢作川の整備計画があり、エリアによって、
自然環境の保全と河川空間利用のバランスを考えた整備イメージが設定されています。
研究所では、この「整備計画」よりさらに細やかに、愛護会の活動地を対象に
それまでの管理を振り返り、研究所の知見も反映させてその後の方針を打ち出す
「管理・活動計画」の作成を愛護会に呼びかけてきました。
これまでに7団体が取り組み、今後も作成を希望する愛護会を募集していることをお知らせしました。
午後は松平地区の「太田川(だいたがわ)」に向かいました。
太田川を維持管理している「太田川河川愛護会」は、
ちょうど昨年度、「管理・活動計画」を作成しました。
その計画図を見ながら現場を視察すると共に、計画立案の有効性を感じていただきたい
という思いで訪問先としました。
太田川は豊田市が初めて近自然工法による改修を行った川で、
季節の花が咲き、夏には親子連れが水遊びをする、親しみやすい川です。
管理・活動計画づくりの話し合いを経て、ホタルが成虫になる時期に
水際の草刈りを控えるようになりました。
会長の平松清文さんによると、活動地は現在約500m、会員は10人で月1回、
草刈りとごみ拾いを行っています。2人いる女性会員はごみ拾いの担当だそうです。
毎月の活動によって、太田川は法面の草丈が低く抑えられ、人が入りやすい川となっています。
困っていることは、イノシシに地面を荒らされることで、
一月ほど前に企業ボランティアが地面を均しましたが、
再びイノシシに掘られてしまったそうです。
他にも、水際のヨシがすぐ大きくなって刈りにくいことや、
水際にある石の間の草刈りをする際に足下が見えにくく危険であること、
高齢化と人手不足が課題だと述べられました。
外部からのボランティアはありがたく、
草刈りをしてくれる人が増えると、よりありがたいとのことでした。
同じ愛護会の活動地とあって、参加者は平松さんに質問をしながら、興味深そうに見学しておられました。
雨模様のお天気でしたが、愛護会同士の交流の場ともなった研修会でした。(吉橋久美子)
2024/10/27
矢作川研究所では、地域の方々と地元の川について語り合い、将来像を描き、それをもとに川を守り育てていこうという「ふるさとの川づくり事業」を行っています。これまで実施した岩本川(豊田市扶桑町・百々町)、広沢川(猿投町)に続き、今年度から、石野地区の一ノ瀬川での取り組みが始まっています。
今回の会に先立ち、8月17日に「一ノ瀬川で遊ぼう」と題して、親子を中心とした地域の方々と生き物探しを行いました。
そして今回、10月27日に寺下公民館にて、「一ノ瀬川の昔の思い出を語る会」を実施しました。2歳から93歳まで、32人の方がご参加くださいました。
最初に最年長の3人の方々から、次に、3人より15歳ほど年下という3人の方々から、昔の一ノ瀬川のことを教えていただきました。昔の一ノ瀬川の姿、川での遊び、生き物を採ったこと、農業の変化や下流の地域との関係など、さまざまなお話を伺うことができました。
昔の一ノ瀬川は今のように、コンクリートで護岸されておらず、子どもでも飛び越えられそうな細い川だったそうです。寺下には大小の水車が二つあり、ゴトン、ゴトンと米をついていました。
一ノ瀬川沿いに生えている草は、かつては重要な資源で、牛の餌用に100m単位で入札が行われたそうです。牛は、昭和20年の終戦直後から田畑を耕すのに飼育されるようになり、昭和30年ごろには一家に一頭ぐらいの牛を飼っていたそうです。その餌として、村では、一ノ瀬川沿いに生えている草を100m単位で入札していたそうです。農業のやり方が変わり、かつては冬も水を張っていた田んぼに水を張らないようになったことで魚が少なくなったのではという言葉もありました。
子どもの頃は、夏休みといえば川。毎日一ノ瀬川で遊び、魚を追ったり、水遊びをしたりしたそうです。細い川だったこともあって、規模の大きな矢作川での思い出でよく耳にする大人の見守りはなく、子どもたちだけで遊んだそうです。
プールがなかった時代、小学校の体育の授業では通称「どんどん」(落差があってどんと水が落ちている、深みのある場所)と呼ばれる場所で泳いだそうです。70代の住民は、中学校でプールができる前に卒業した方、できた後に入学した方がいます。小学校にプールができたのは中学校の後だそうです。
生き物としてはウナギ、フナ、オイカワ、カニ、ツボ(タニシ)などの名前が挙がりました。コンクリート護岸がなかった頃、岩場の穴に手を突っ込んで「アカジジ」(婚姻色の出たオイカワ)を掴んだというお話もありました。
水車の写真付きの説明資料を持参してくださった方は、子ども向けに、「水車の目的はなにか?」という三択クイズをしてくださいました。多くのお子さんが「精米するため」という正解に手を挙げていました。
水車は「ヨンナナ災害」と呼ばれる昭和47(1972)年の水害で壊れてしまったとのことでした。道路も田んぼも水浸しになり、土砂崩れも起きたそうです。その後の復旧工事によって、一ノ瀬川の形が一変したとのことでした。
今回、一ノ瀬川のたくさんの思い出を、小さなお子さんと保護者もいらっしゃる場で共有できたのはとてもよかったと思います。次回は、一ノ瀬川の将来像について考えていきます。今からとても楽しみです。(吉橋久美子)