一ノ瀬川の昔の思い出を語る会を実施しました

2024/10/27

矢作川研究所では、地域の方々と地元の川について語り合い、将来像を描き、それをもとに川を守り育てていこうという「ふるさとの川づくり事業」を行っています。これまで実施した岩本川(豊田市扶桑町・百々町)、広沢川(猿投町)に続き、今年度から、石野地区の一ノ瀬川での取り組みが始まっています。

今回の会に先立ち、8月17日に「一ノ瀬川で遊ぼう」と題して、親子を中心とした地域の方々と生き物探しを行いました。



そして今回、10月27日に寺下公民館にて、「一ノ瀬川の昔の思い出を語る会」を実施しました。2歳から93歳まで、32人の方がご参加くださいました。



最初に最年長の3人の方々から、次に、3人より15歳ほど年下という3人の方々から、昔の一ノ瀬川のことを教えていただきました。昔の一ノ瀬川の姿、川での遊び、生き物を採ったこと、農業の変化や下流の地域との関係など、さまざまなお話を伺うことができました。




昔の一ノ瀬川は今のように、コンクリートで護岸されておらず、子どもでも飛び越えられそうな細い川だったそうです。寺下には大小の水車が二つあり、ゴトン、ゴトンと米をついていました。

一ノ瀬川沿いに生えている草は、かつては重要な資源で、牛の餌用に100m単位で入札が行われたそうです。牛は、昭和20年の終戦直後から田畑を耕すのに飼育されるようになり、昭和30年ごろには一家に一頭ぐらいの牛を飼っていたそうです。その餌として、村では、一ノ瀬川沿いに生えている草を100m単位で入札していたそうです。農業のやり方が変わり、かつては冬も水を張っていた田んぼに水を張らないようになったことで魚が少なくなったのではという言葉もありました。

子どもの頃は、夏休みといえば川。毎日一ノ瀬川で遊び、魚を追ったり、水遊びをしたりしたそうです。細い川だったこともあって、規模の大きな矢作川での思い出でよく耳にする大人の見守りはなく、子どもたちだけで遊んだそうです。
プールがなかった時代、小学校の体育の授業では通称「どんどん」(落差があってどんと水が落ちている、深みのある場所)と呼ばれる場所で泳いだそうです。70代の住民は、中学校でプールができる前に卒業した方、できた後に入学した方がいます。小学校にプールができたのは中学校の後だそうです。

生き物としてはウナギ、フナ、オイカワ、カニ、ツボ(タニシ)などの名前が挙がりました。コンクリート護岸がなかった頃、岩場の穴に手を突っ込んで「アカジジ」(婚姻色の出たオイカワ)を掴んだというお話もありました。

水車の写真付きの説明資料を持参してくださった方は、子ども向けに、「水車の目的はなにか?」という三択クイズをしてくださいました。多くのお子さんが「精米するため」という正解に手を挙げていました。

水車は「ヨンナナ災害」と呼ばれる昭和47(1972)年の水害で壊れてしまったとのことでした。道路も田んぼも水浸しになり、土砂崩れも起きたそうです。その後の復旧工事によって、一ノ瀬川の形が一変したとのことでした。




今回、一ノ瀬川のたくさんの思い出を、小さなお子さんと保護者もいらっしゃる場で共有できたのはとてもよかったと思います。次回は、一ノ瀬川の将来像について考えていきます。今からとても楽しみです。(吉橋久美子)



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