2025/12/21
矢作川をはじめ、川と人との関わり方は、時代とともに大きく変わってきました。昔は身近だった川での遊びや暮らしの記憶は、今では語られる機会が少なくなっています。そのため、そうした貴重な記憶を記録にとどめたいと、これまで複数の方々に聴き取りを行ってきました。また、今も川を大切に思い、整備や保全などの活動に関わっている方々の思いや活動についてもとても貴重であると考えます。そこで、川と関わっている皆さんとともに、川のことを改めて考え、次の世代に伝えていく視点を共有する時間を持ちたいと考え、一人の語りをもとに意見交換を行う「川の話を聴きあう会」を企画しました。
2025年12月21日、豊田市枝下(しだれ)町で活動する「枝下町遺跡調査隊」(注)の皆さんにご参加いただき、初めての「川の話を聴きあう会」を開催することができました。枝下町は、かつて、枝下用水の取水口が設けられた地区で、旧飯田街道が通り、矢作川を舟で渡る渡船場がありました。
川の話を聴きあう会では、まず、枝下町にお住いの菅沼一郎さん(1932(昭和7)年生まれ)(枝下歴史研究クラブ)の語りの音源を流しながら、川や地域の歴史を示す写真のスライドを上映しました。音源は2024年10月に、渡船場があった場で、15分間、聴き手側の質問を挟まずに語っていただいたものです。その内容は、菅沼さんが矢作川で子ども時代に見た渡船の様子や友達と川で大いに遊んだ経験、農業用水の取水口が設置された枝下町ならではの歴史、昔はたくさんいた「魚の顔」を最近見なくなったことなどでした。
スライド上映後、参加者の皆さんに菅沼さんの語りにまつわるお話をお聴きしました。特に話題となったのが渡船についてでした。菅沼さんが、川を渡りたいときの船頭への依頼の仕方や、船頭がどのように舟を操ったか、また、友達と渡し舟で遊んだことなどを語っておられたことが影響したと思われます。自分の父親が船頭をしていたという方も含め、渡船についてよく知っている方々がおられる一方で、今回初めて渡船場の場所がわかっておもしろかったという方もおられ、会員のなかで渡船についての知識には濃淡があることが伺えます。渡船の話は今後の世代にも語り継いで欲しい、渡船場と舟を復元しようか、というアイデアも出ました。
また、枝下町では、地域の歴史を次世代につなぐ活動が長年続けられてきたそうです。菅沼さんと同年代の方々が、老人会の出し物として渡船を題材にした劇を小学校の学芸会で披露したこともあったそうです。他にも、かつてあった流れ橋のこと、「枝下の高千穂峡」といわれる枝下用水の第二樋門付近の光景の魅力などについて、活発な意見が交わされました。
その後、菅沼さんの語りを11項目にまとめたものの中から、「聴き継ぎたい・語り継ぎたいもの」を選んでいただきました。その結果、聴き継ぎたい・語り継ぎたい項目として、「旧街道が通る枝下地区では、矢作川を舟で渡った時代があった」は回答した10人全員、「矢作川が増水した時は、“測り岩”が水没したかどうかで渡し舟を出すかどうか決めて、事故を予防した」「矢作川の水を農業用水として使うために枝下地区と下流地区の利害対立が起き、紛争があった」は8人によって選ばれました。項目の全てを聴き継ぎたい・語り継ぎたいとした方もいました。
今回、矢作川についてのお一人の語りを共有したことで、川のことをあまり知らなかった方にとっては、川にまつわる住民の記憶を新たに認識する機会となったと思います。一方、川のことをよく知る方のアンケートにも「こういった話をだんだん聞けなくなるのは悲しい。貴重な話だ」「渡し舟の話は何度も聞いたことがあり、本日渡し舟の重要性を再認識できた」と回答があったことから、川の記憶を再認識する機会にもなったと感じました。このような聴きあいの場が、地域の記憶を受け継ぐ機会の一つとなれば嬉しいです。
注.枝下町遺跡調査隊について
枝下町遺跡調査隊は、「枝下町の歴史的価値をPRすること」を目的に2021年に設立された団体です(会員14人)。枝下町に隣接する矢作川の中州(通称「中島」)において、川の流下能力改善のために樹木伐採と土砂撤去が行われ、中島がなくなるという知らせに衝撃を受け(後に、工事対象は水面から上部のみということがわかる)、中島の変遷を観察し、枝下用水の遺構を調査しようと活動を始め、今年度で5年目となるそうです。SUP(スタンドアップパドルボート)に乗って矢作川から枝下用水の遺構を撮影したり、用水に多くの水を引くために矢作川に設置された「牛枠」(写真4枚目)という構造物を「枝下用水資料室」※と共に原寸大で復元したり、川の様子が観察できるように川辺の竹伐りや草刈りをするなど、活発に活動されておられます。この日は活動日で、会員の皆さんは新しく設置した倉庫に棚を作る作業や河川敷の整備作業をしたうえで、川の話を聴きあう会に参加してくださいました。
※.枝下用水資料室について
地域との協働研究拠点である枝下用水資料室の活動については、同資料室が発行する「続・枝下用水日記 矢作川の流れのほとりから」及びブログで発信されている。リンク…枝下用水日記)
2025/12/20
お釣土場水辺公園 管理・活動計画作成ワークショップの第1回を2025年11月15日に、第2回を2025年12月20日に行いました。
研究所では、川と関わり、自然と触れ合える地域づくりを目的に、水辺愛護会とともに会の活動についてふりかえり、目指す姿を描く「管理・活動計画」を作成してきました。これまでに7つの水辺愛護会が計画を作成してきましたが、今年度は中越戸水辺愛護会と下越戸水辺愛護会の皆さんと共に、お釣土場水辺公園についての計画を作成することになりました。
お釣土場水辺公園は、矢作川の中流部右岸、越戸町の川辺に位置し、中越戸水辺愛護会の方々が草刈りや間伐などの整備をしてくださっていました。今回、矢作川研究所が、隣接する下越戸水辺愛護会エリアも含めて豊かな植生を守るべく、一体的に考えたいと両愛護会に呼びかけてワークショップを開催しました。
第1回は、両愛護会から11人が参加し、お釣土場水辺公園で植物を観察しながら、植生管理方法案(研究所作成)を現地で確認しました。管理方法案は「親水性、良好な景観の維持」と「生物多様性保全」の両立をめざすものです。方針の一つに、「河畔林を代表するエノキ・ムクノキの世代交代を目指し、若木を育てる(生物の多様性の保全)」があるため、研究員が樹皮や葉の形によるエノキ・ムクノキの見分け方を説明しました。参加者からの意見としては、良好な景観の維持のため、川への見通しを確保したいという声が上がりました。
その後、下越戸自治区区民会館でこれまでの愛護会活動のふりかえりを行いました。
まず、堤防道路から川方向を見た過去と現在の写真を見比べ、川が全く見えない状況から、活動によって現在の川を見通せる景観へと変貌した様子を確認しました。この眺めが維持されていることは大きな成果で、散歩する人が明らかに増えたそうです。会員同士の親睦が深まっていることも成果として挙げられました。
今後の取り組みとしては若木の育成、住民向けの植物観察会の実施、草が繁茂している下流側の草地に一部川辺を歩ける空間を作る、などの案が出ました。活動の安全性への配慮についても話題になりました。
第2回は、両愛護会から15人が参加し、中越戸公民館において将来像などを考えました。
まず、前回のワークショップをふりかえった後、お釣土場付近の思い出を共有しました。川の将来像を考える際、川の歴史やこれまで人々がその川とどのように関わってきたかを共有することが重要であると考え、これまでの管理・活動計画作成においても毎回お聞きしています。学校にプールがなかったころ、子どもたちは矢作川で遊んでおり、下越戸では対岸まで泳いでよかったが、中越戸では禁じられていたことや、「見張り小屋」で親が見守りをしていたことなどが挙げられました。災害については、47(よんなな)豪雨(1972(昭和47)年)でこの地域が浸水して人々がボートで移動する光景が見られたこと、東海豪雨(2000年)では「堤防から手が洗える」ほど矢作川の水位が上がったことなどが語られました。続いて研究所から、さらに時代を遡り、かつて舟運が盛んだったことや、昭和から令和に至る河川整備方針の変遷について説明しました。
次に、前回の意見を反映した「植生管理区分案」を見ていただき、賛同を得ました。活動内容によるゾーニングの変更、地域にとって価値のある植物(七夕行事に使う竹など)の保全などが加わりました。
最後にお釣土場水辺公園の将来像などを考えました。自生する植物群を守ること、安全に歩ける散策路づくり、地域の方々にお釣土場水辺公園の良さが知られている状態(そのために㏚する)などのイメージが出されました。
管理・活動計画は、案を最終形にまとめたものを確認する会を経て、今年度中に完成する予定です。
2025/12/19
2025年12月19日,内田朝子研究員が,第47回東海陸水談話会(於 椙山女学園大学教育学部)の演者として,「川の『健康診断』の新技術」と題した講演を行いました.これは,内田研究員が2025年9月にLimnology and Oceanography Methods誌に発表した「River metabolic rates measured using a transparent tunnel」という論文内容の紹介を中心に,川の「健康診断」の基盤となる光合成と呼吸を測定する技術に関して話題提供をしたものです.
河床の付着藻類などによる光合成量は,一次生産と呼ばれるもので,川の「健康」状態を知るうえで基本的な情報となります.光合成量は,光合成の際に産出される酸素量の増加を計測することで,推定します.これまで,様々な方法で光合成量が推定されてきましたが,「明暗瓶法」や「袋法」(※文末の図解参照)では瓶や袋に水と付着藻類を閉じ込めてしまうことで,自然とは異なる(例えば,流速条件や水交換の条件が異なる)状態での光合成量の推定とならざるを得ませんでした.
この問題は,水の流れる普通の河川で溶存酸素の変化を計測し,光合成量を推定する「オープンメソッド(マスバランス法)」であれば解決できます.ただし,大気と(河川)水との間の酸素移動を推定し,計測値から計算する必要があるため,精度に課題がありました.その課題を解決するため,透明シートを用いた水中トンネルを作成し,大気と(河川)水との間の酸素移動がない状態で溶存酸素の変化を計測することで,より正確な光合成量を測定できる「透明トンネル法」を開発したことが評価され,論文として掲載されました.
談話会では,透明トンネル法の着想にいたる経緯や技術開発での気づきなど論文に記載されたこととされていないことを合わせた情報提供がなされ,質疑応答も大変盛り上がりました.「オープンメソッドで光合成量を評価できない場合の解決策になりそう」との感想も聞かれ,新技術「透明トンネル法」に対する期待の高さがうかがえました.
実際の論文を見てみたい方は,内田研究員(uchida@yahagigawa.jp)まで,是非お問合せを!
明暗瓶法.明条件(光合成と呼吸)と暗条件(呼吸のみ)の瓶の中に付着藻類を入れて,呼吸量を除去した光合成量を推定する方法.
袋法.現地の付着藻類を石ごと袋に入れて,透明の袋(明条件)と黒い袋(暗条件)とを比較することで,呼吸量を除去した光合成量を推定する方法.
講演タイトルの図.画面の真ん中に透明トンネルが確認できる.
透明トンネルの紹介.写真を撮影する参加者も見られた.
2025/12/11
オオカナダモは外来生物法で要注意外来生物に指定されており,日本の侵略的外来種ワースト100にも入っている水草です.
オオカナダモが川底を覆っていた頃の様子(2012/9/13撮影)
矢作川では1990年代中盤にオオカナダモが見られるようになったとの報告があり,2000年代にはその群落が目立つようになってきました.2011年に国土交通省豊橋河川事務所が行った分布調査では,矢作川中流で大規模な群落が広域で確認されました.その後も矢作川漁協,矢作川の環境を守る会,矢作川研究所で調査を継続し,2017年頃まで広い範囲で確認されていましたが,2018年に分布域が大きく減少しました.2018年以降は小康状態が続いています(詳しくはこちら).
ドローンで川面を動画撮影している様子
オオカナダモの分布調査は水位が安定し,濁りの少ない冬の時期に,矢作川中流の平戸橋下流から久澄橋下流までを対象に行っています.以前はアユ釣り舟に乗せていただき,船上から分布状況を確認していましたが,ここ数年はドローンで上空から川面を撮影し,確認しています.
今年も内田研究員とともにドローンを飛ばして調査したところ,分布域は一段と縮小し,ある程度まとまった群落は下の写真の平戸橋下流で見られたのみでした.
外来生物は突如として現れ,爆発的に増加することがよくありますが,その後,衰退してほとんど見られなくなる種,レギュラーとなりいつでも見られるようになる種,優占種となり続ける種など動向は様々です.
矢作川のオオカナダモについては,現在矢作川中流であまり見られなくなっていますが,再び増加傾向に転じるかもしれません.オオカナダモが大繁茂していた時期には「アユの釣り糸にオオカナダモが引っかかる」,「景観が損なわれる」などの問題があり,駆除活動も行われていました.
今後も注意深くオオカナダモの動向を見守っていきたいと思います.
2025/11/30
2025年11月30日、矢作川の中流部の川辺を整備する「下越戸水辺愛護会」(会員28名)の活動に、地元の中学生団体「ジュニアクラブ」のメンバー12名と保護者5名が参加しました。その様子を、後日、会長の川崎学さんに伺いました。
当日は作業に先立って、中学生に対して活動の趣旨と「身近な自然を大切にしよう!」「地域の活動に参加してみよう!」「小さな行動が未来の環境を守る力になります!」というメッセージを伝えたそうです。その後、3年生がリーダーシップを発揮して、事前に伐採されていた竹や刈られた草を一輪車やリヤカーで集積場まで運びました。意欲的に活動する中学生の姿に触発され、愛護会の会員もより積極的に作業に取り組めたとのことでした。
中学生は「大変だったけど楽しかった」「こういう機会があったらまた参加したい」「(ふるまいで出た)豚汁がおいしかった」などの感想を述べたそうです。
本活動は、下越戸水辺愛護会の前身である「下越戸竹伐り隊」が活動をしていた2016年から毎年実施されており(コロナ禍の時期を除く)、継続して中学生が参加していた歴史があります。この実践は、多世代での、川の整備を通じた地域交流の好事例でもあると思います。